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zoom RSS 憤怒像の観音様がいらっしゃる大安寺@南都七大寺

<<   作成日時 : 2013/08/24 03:47   >>

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大安寺(奈良)

特別公開中だった秘仏のご本尊「十一面観音立像」にお会いするため大安寺へ行ったのは2012年10月23日のことです。

しかし当日は、あいにくの 模様。さほど広くない境内ですが、ゆっくり見ることもなく、本尊にだけお会いして早々に帰ってきてしまったので、改めて行ってきました。

南都七大寺の一つに数えられる『大安寺』は、聖徳太子が建立した「熊凝精舎(くまごりしょうじゃ)」を起源とします。
薨去(こうきょ)の際、舒明天皇に託して国の大寺となすように遺言せられました。天皇はその遺願により「百済大寺」を建立、これがわが国最初の官寺となりました。

やがて飛鳥の藤原京で「高市大寺」、次いで「大官大寺」となり飛鳥時代の中心寺院として栄えました。

そして平城京遷都に伴い今日の地に遷されて「大安寺」となったのです。

奈良時代には、国に筆頭寺院として887人の学僧を擁し、仏教の総合大学の様相を呈したといわれます。

※ 薨去(こうきょ)とは、皇族または三位以上の公卿が死去した場合に使用される表現。天皇・皇后・皇太后・太皇太后の場合は「崩御」と表現する。


大安寺式伽藍


古の大安寺は25万平方メートルの広大な敷地に金堂、講堂を中心とした九十余棟の建物が立ち並んで偉容を誇っていました。三面僧坊には、887人の僧侶が住んで、勉学修行に励んだのです。道慈律師が唐の長安に学び、西明寺の伽藍をモデルに大安寺を整えたといわれています。南大門のはるか南には七重塔の双塔が聳え立ち、東大寺に対して南大寺とも称されました。

大安寺式伽藍配置図

大安寺式伽藍配置図



大安寺は、 南都七大寺 の1つで、東大寺・西大寺と並んで南大寺とも呼ばれました。かつての伽藍配置は、南大門、中門、金堂、講堂が一直線に並ぶ 大安寺式伽藍 で、南大門の外側には東西に2基の七重の大塔がたつ壮大なものでした。
大安寺の縁起

大安寺の縁起を説明する看板


しかし、今は南門の正面には鉄筋コンクリートの讃仰殿(宝物殿)が建っていて、当時の面影はありません。
大安寺南門

大安寺 南門(正面に見えるのが宝物殿)



南門は興福寺旧一乗院の門を移築、復元したもので、旧南大門の基壇の上に立っています。

正面から見ると、いたって簡単な形式の門です。
が、内側に控え柱を立てて貫でつなぎ、そこに本屋根と直角に少し低く屋根を置いている。つまり屋根がコの字型におかれていることになる。
これで、本屋根の軒出が少なくても、門を全開したときに扉が濡れずにすむのです。
このような門の構造を『高麗門』といいます。
大安寺南門

大安寺 南門(横から)




秘仏 十一面観音立像(重文)


毎年、10月1日〜11月30日は、十一面観音立像特別公開日となっています。

像高190.5cmの一木造で、厨子に入っているため座って見上げてもお顔を拝見することができません。しかし、どうぞ厨子の近くまでと、お寺の方がおっしゃったので、お顔まで拝見するこができました

穏やかで静かな微笑みが印象的でした。
本像は頭部や左手などに後補の部分がありますが、体部および台座はよく保存されています。胸部の瓔珞(装身具)は精巧華麗に刻み出されて美しく、肉付きのよい体部と柔らかい条帛裳の流れ、そして天衣の見事な表現はこの像の優美さをよく引き立てています。また腹部にしめる石帯には数珠つなぎの飾りが垂れ、台座の菊座と対葉花文が刻まれ、実に見事な意匠と彫り口が示されています。

この像は天平時代を代表する大安寺彫刻群の中でももっとも優美な仏像と言えます。


大安寺本堂

大安寺 本堂

十一面観音立像が安置されている本堂は、南門を入って左手(西側)にあります。正面から見ると、宝形造となっています。
本堂の宝珠

本堂の宝珠


しかし、側面から見ると切妻となっています。
大安寺本堂(南面から)

本堂 南面から撮る




宝物殿


大安寺に奈良時代から伝わる仏像9体の内、この宝仏殿には7対をおまつりしている。いずれとも天平仏として貴重な仏像ですが、霊木といわれる榧の一材から彫り出されたものです。
唐の様式を伝える初期の密教仏で渡来僧や遣唐留学僧が多く居住した当寺にあって、当時最先端の仏教思想によっていち早く造立された仏像群といえます。

大安寺で頂いたチラシ。左から、多聞天像(天平時代・重文)、不空羂索観音像(天平時代・重文)、楊柳観音像(天平時代・重文)
大安寺チラシ(表)


大安寺チラシ(裏)

一番上の写真の中央3体が観音像。左から、聖観音立像(天平時代・重文)、不空羂索観音両立像(天平時代・重文)、楊柳観音立像(天平時代・重文)。両端2対ずつが四天王像(天平時代・重文)。

画像

これは、『大安寺式軒瓦』。奈良時代、大安寺の伽藍に最も多く用いられたの木瓦。
軒丸瓦は単弁12葉の蓮華文、軒平瓦の牛頭のような中心飾りが特徴的です。


楊柳観音立像(重文)


つり上がった大きい眼、かっと開いた口、そこには舌と歯が表された忿怒相の観音様です。
胸と腹部の間に、下裳を締めているようにもう一つの石帯が刻まれているのは、珍しいです。
大安寺楊柳観音と馬頭観音
左が楊柳観音、右が馬頭観音(パラミタミュージアムのチラシより)


不空羂索観音立像(重文)


興福寺・南円堂の不空羂索観音東大寺・法華堂の不空羂索観音 のように宝冠を付けていません。飾りが何もなく簡素な像で、台座までを一材で彫り出しています。
八臂像ですが、持物がないので、言われなければ私には不空羂索観音とはわかりません


聖観音立像(重文)


大安寺の聖観音は、榧の一材から頭部より台座まで彫り出された一木彫です。胸部にニ連の胸飾りは連珠と瓔珞がお見事!!


四天王立像(重文)


3体の観音様が170センチ〜190センチであるのに対し、四天王像は持国天が約150センチ、他の3体はいずれも約140センチと、やや小柄です。
この4体は本来一対ではありませんでしたが、広大な大安寺伽藍の中で複数祀られていた四天王の内、奇しくもこの4体が残存されました。
邪気を踏まず岩座にすっくと立ちます。岩座は中国の魏々たる山塊を形取り、仏教の須弥山を象徴しています。


馬頭観音立像(重文)


文化財の指定では千手観音となっていますが、寺伝では馬頭観音として伝わり、嘶堂(いななきどう)に安置される秘仏です。3月のみ公開されます。

一般に馬頭観音様は、頭上に馬頭をいただく忿怒の形相ですが、この尊像にはその馬頭がありません。かわりに胸飾りの瓔珞(装身具)と足首に蛇が巻きつき、腰には獣皮をまとっている極めて珍しい姿です。

この日は公開日でなかったの観ることできませんでした。
以前、三重県のパラミタミュージアムで「南都大安寺と観音様展」が開催された際に出展してましたので、そこで拝見しました(2012年8月30日〜10月10日開催)。

やはり頭上に馬がないので、言われなければ馬頭観音とはわかりません
パラミタミュージアム「南都大安寺と観音さま展」のチラシ
パラミタミュージアム「南都大安寺と観音さま展」のチラシ


忿怒の形相で、一面六臂の馬頭観音が祀られている「嘶堂(いななきどう)」は、平成:第一次伽藍整備により建てられたお堂です。
大安寺嘶堂

嘶堂


嘶堂の前にあった鉄製の灯籠。三本足が象の鼻になっているのが面白い。岩の上でかなりバランスが悪いようです。地震には耐えられるのでしょうか?
大安寺嘶堂前の灯籠

嘶堂前の灯籠




嘶堂の南側に並んで建っているのが小子坊で、写経道場として利用されています。
大安寺小子坊

小子坊




大安寺に住した名僧知識


大安寺は奈良時代における仏教の総合大学の観を呈し、あまたの名僧知識が居住して、三輪僧を始め、律・華厳など六宗を兼学しました。日本仏教の源泉といわれた寺で、渡来僧や大宮人が行き交い、文化の華を咲かせたのです。

錚々たるメンバーですね。
道慈律師どうじりっし三輪宗の祖師、大安寺の天平伽藍を完成させた。
菩提僊那ぼだいせんなインド僧。大仏開眼の導師として知られる。
道せんどうせん唐僧。大仏開眼の呪願師。
仏哲ぶってつヴェトナム僧。林邑楽(伎楽)を伝えた。
審祥しんじょう新羅留学僧。華厳を伝えた。
善議ぜんぎ三輪の学匠。
普照ふしょう入唐し、勧進和上の招請をなした。
栄叡ようえい普照と同様、授戒師を日本に招聘すべく入唐。
行表ぎょうひょう最澄の師。近江の国師となる。
勤操どごんそう空海の師。岩淵の僧正。
最澄さいちょう伝教大師。比叡山を開創、天台宗
空海くうかい弘法大師。高野山を開創、真言宗。
行教ぎょうきょう宇佐八幡を勧請。石清水八幡の開祖。
菅原道真すがわらのみちざね俗別当を勤められた。

※ 名僧知識とは、仏道の悟りを開いた、すぐれた僧のこと。


史跡 大安寺旧境内


現在の大安寺から北へ少し行ったところに 史跡 大安寺旧境内 の標石ががあります。大安寺小学校の校庭前あたりです。
ここは、寺にとって大事な経典を納めた経楼のあった場所です。とはいうものの「史跡 大安寺旧境内」と書かれた標石と説明板があるだけで、他には何もありません。
史跡 大安寺旧境内

史跡 大安寺旧境内


南側に行けばの東西両塔跡があるそうですが、私は行けませんでした(近くまで行ったのですが、見つけられなかったというのが本当のところ)


世界遺産


ところで、なぜ大安寺は世界遺産に登録されていないのでしょうか?

大安寺は奈良時代の大学的な存在でした。多くの名僧が居住して、仏教という学問を究めました。
興福寺・東大寺などとともに南都七大寺と呼ばれ、今でこそこじんまりとしてますが、かつては大伽藍を誇っていました。南大門・中門・金堂・講堂・食堂と一直線に並んだ伽藍配置を「大安寺式伽藍」と呼ぶくらいですから。

確かに国宝級の建造物や仏像群はありません。
しかし、9体もの天平時代の仏様を所蔵(いずれも重要文化財)を所蔵しています。敷地も史跡に指定されています。


東大寺・興福寺といった個々の資産ではなく「 古都奈良の文化財 」という名称で、全体がひとつの文化遺産として登録されているのだから、大安寺の果たした役割を考えると

「古都奈良の文化財」として、一緒に登録してくれてもいいんじゃない?

なんて思ったりします。


南都七大寺 → 興福寺・東大寺・大安寺・西大寺・薬師寺・元興寺・法隆寺(法隆寺を除き唐招提寺を入れることもある)

世界遺産 → 興福寺・東大寺・薬師寺・元興寺・唐招提寺・法隆寺・法起寺


あっ、西大寺も南都七大寺の一つなのに、世界遺産に登録されていないや。
でも、西大寺の歴史的背景を私は知らないので、ここではよしとしよう

現在の境内の規模を考えてみると、元興寺だってそれほど広くない。大安寺とさほど変わりないんじゃないのかな?

やっぱり個人的には大安寺も「古都奈良の文化財」に入れて欲しかったなぁ。。


同じように「法隆寺地域の仏教建造物」として登録されている世界遺産にも、法輪寺が入っていないのも、なぜなんだぁ!? と思っているのですが。。


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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
大安寺を訪れていただいて嬉しいことです。
育った地域なので、観音像など拝顔すると愛おしく思います。
この観音様は戦時中博物館へご動座されていました。
戦後私は、稚児行列で白い布で覆われた観音様を大八車に乗せてお迎えに行った記憶が鮮明に残っています。
何時だったか、現住職に尋ねたことがありますが、全くご存じなく歳月の経過と風化を感じました。
実家の地名も護摩堂と呼んでいました、今は新しく変更されました。新築の時は発掘調査(自費)で随分時間とお金がかかったそうで。(笑)
やろい
2015/08/06 12:40

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